歴史的な場所である沖縄平和祈念公園

沖縄歴史  |

平和祈念公園がある摩文仁の丘は、太平洋戦争末期に日本軍の最高司令部が位置していて、地上戦当時、最も激しい戦闘が繰り広げられた所で、米軍第77師団によって日本軍が全滅された歴史的な場所でもあります。太平洋戦争当時、日本で行われた唯一の地上戦があった沖縄戦は、1945年3月26日、米軍の沖縄上陸作戦が開始され、同年6月23日、戦争が終わるまで約3ヶ月間20万人以上の民間人と軍人たちがこの地域で死んで行き、そのうちの半分以上の遺体がまだ発見されていないと言います。

 
平和祈念公園は、国籍、身分、人種を超越して、戦争の犠牲にされているすべての人を追悼するための場所です。沖縄県では毎年たゆまぬ調査活動を通じて身元が把握されると、犠牲者の名前を「平和の礎」に刻銘しています。「平和の礎」とは、その当時死んで行った方々の名前を刻銘しておくところで、現在の沖縄県民約15万人、日本本土の約8万人、アメリカ人1万4千人が刻銘されています。

 
平和祈念公園の敷地内にある平和祈念資料館では、沖縄戦に関する多くの資料が常設展示されており、戦後から日本復帰までの沖縄の沿革に関する資料も沢山あります。公園には広い芝生と池があり、散歩をしたり、ピクニックに来る住民も多いです。

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